カウンセリング広報だより
第21回 失くしたものとの新しい関係(2009.2.1)
心理カウンセラー 中島美佐子
何かをなくすことを心理学で「対象喪失」と言います。対象とは、「自分とは違うもの」といった意味で、意識や主観などの対義語にあたります。対象喪失というのは複雑で、実際には失っていないようにみえることでも、喪失として体験していることがあります。
たとえば実際に、恋人が自分のもとを去ったり死んでしまったとする。これは対象喪失です。一方、目の前にいる恋人がこちらを幻滅させるような行為をしたら、現実にはその人は存在していても今まで思い描いていたその人、すてきだと思っていたその人の一部(または全て)を失うことになるので、これも対象喪失ということができます。一見、失ったことは分かりづらいです。
対象喪失にはこのように、対象がなくなってしまった場合と、こころの中のイメージがなくなった場合とがあるのです。
何かを失ったとき、その対象との関係をその場で断ち切らなければならない、ということはありません。失われたからといってその対象がこころから消えてしまうわけではないからです。たとえば妊娠しないときや流産による喪失体験では、失った赤ちゃんに対して、何かしらそれまでにかけてきた思いがあった。その思いはずっと残り得るのです。そうなると、もはやそれは完全に失ったとは言えなくなるのかもしれません。
精神分析家のフェアバーンは、「人間は対象関係希求的である」と言ったそうです。対象としての「存在そのもの」を求めるのではなく、何かとの関係を、つまり人は「対象と関わること」を求めているという意味でしょうか。
失われたけれども、それまでにその対象にかけてきた思いやその関係までが完全に失われるわけではないのです。そして、こころの中に喪失対象との「新たな関係」を見いだすことはできる。その対象にかけられた思いを大切にして失ったものと新しい関係を築くその過程こそが、「悲哀の仕事」になるのかもしれません。
そう考えてみると、不妊によって失った命があったとしても、思い続けてきた我が子はこころの中に居続けることができる、ということができます。
失ったけれども失っていない。失っていないはずなのに失ってしまった。喪失というのは、なかなかつかみ所のないものです。
参考文献 神田橋條治(1997)「治療のこころ 第二巻 精神療法の世界」
花クリニック神田橋研究会